本年初頭に発足した最初に、京都の医療関係者と交流会を持ち、意見交換をしました。協力の要請、連携をお願いするということも目的の一つでした。
まだ会員も集まらない中、イギリスで臨床研究しておられる代表の対本師が一時帰国され、事務局児玉氏と私が出席したわけですが医療現場の医師・看護師の方たちより、かなり痛切な辛辣なご意見を頂きました。
「坊さんがボランティアまがいの中途半端な立場で現場にこられてもかえって迷惑」
「医療や介護のことを甘く見すぎ」
「いったい坊さんに何が出来るのか疑問だ」
「本当の現場がどれほど大変なのか解っているのか」
「都合の良いときだけ、来るようなことで、何が出来るのか」等々。
理解を示して下さる方々も少数ながらおられたが、大勢は、「冷ややかな」見方でありました。(前向きに激励頂いていると考えることにしてます)
また宗門の中でも、「遠目に眺めておられる」のが実情ではないかと思われます。
いちいち反論できるだけの実績も経験もなにもないので、ひたすら、「行動で」示していこう、「研鑚」を積んでいこう、と遅々とした歩みですが、勉強会、がん患者の会への参加、そしてヘルパー資格取得の講座受講、理解を示して下さる病院訪問、我々に先駆けてビハーラ活動しておられる僧侶からのレクチャー、この間、いろいろな方と多くのご縁を頂きました。有り難いことに、出会う人ごとに、我々を温かく迎えて下さっています。
また、東日本大震災の発生は、日本中の国民が、生命の尊さや人と人の絆、互助や共感といった「生きる」ということをいやがおうにも考える機会となりました。
かなり以前から、高度成長によって豊かな生活になった反面、心の荒廃退廃が進み、「心の時代」、ということが叫ばれてきましたが、唱えているだけではだめだという反省が求められているのが、現在の宗教界への一般社会からの声なき声だと感じます。昨今の葬儀や法要の簡素化・不履行などは、経済的退行も要因ながら、その端的な証左だと思われます。しかしながら心の底から、宗教否定、宗教者不要、寺院不要を考えておられる方は、ごくごく少数だと思われるのです。これまでの勉強会や講座受講のなかでの現場の意見を聞く中で、病み悩み苦しんでおられる人が如何に多いのかを実際に見聞きする中で病苦や肉親の喪失に悩み苦しむ人々が少しでも心和むひとときがあればと思います、僧侶がその役割を担って寄り添ってくれるのなら、嬉しい有り難いという声も多く頂いてます。
和尚と檀家信者さんだけとの特定の交流では、解らないことが解ってきました。
信頼信用を失いかけている、存在意義が厳しく問われる現今の仏教界で、私たちは釈尊の祖師方の行履や教えに今一度向き合うことが求められているのではないでしょうか。その一端が、臨床僧サーラの活動だという思いを深めております。
法輪寺 佐野泰典