会が発足して間もなく二年を迎えます。この間、活動する上で必要な医療か福祉の公的な資格を初年度五名が、今年度二名が取得いたしました。会員登録は三十余名ありますので、今後さらに取得する会員が増えることが先ず必要な事だと思います。
私はじめ五名は、ホームヘルパー資格を取得して丸一年が過ぎようとしています。
〇定期的な勉強会
医療や介護の現場に行く上で、何か、道具(ツール)が必要ではないかということでアロマオイルによる手のハンドマッサージを宇都宮の斉藤医院さんが京都に来て下さり、会員一同教えてもらい、効用は勿論のこと、対話や関係構築の上でとても役立っています。
また、新聞や公報で見かける公的な機関が開催する医療に関する講演会などには、日程が合えば出向いて拝聴しています。こうした場所で「坊さんが」座っているということは、一般の人たちや講演する医者の方々も興味深いらしく、ほうぼうで私たちの活動が喧伝されるきっかけにもなっているようです。一石二鳥です。
京都近辺での活動報告
〇がん患者の会への参加
今や国民の多くが、「がん」を発症し、病苦・死苦の渕に立っています。こうした苦しみ悩みを少しでも癒やし、そして病院の医師や看護師、患者や家族、そして行政の担当者が一体となって、よりよい看護、介護による治癒、社会復帰をめざすという条例が制定され、各都道府県や地域の拠点病院に患者サロンが開設されています。私たちは、京都府庁内で開かれているサロンに定期的に参加し、患者さんや家族さんとの交流を深めております。
心の悩みごとをお聞きすることもあったり、世間話をしながらといった対話を続けています。関わり始めた当初は、見ず知らずの「僧侶・坊さん」ということである種の距離がありました。しかし毎回顔を出すことで気心が知れ、いまでは、私のお寺でもサロン会場となるほどになりました。
患者会には世話人さんが数名おられます、この人たちから学んだこととして傾聴活動の根本にもなるのではないかと思いますが、こんな詩があります。
『聞いてください』
私の話を聞いてくださいと、と頼むと、
あなたは助言を始めます。
私はそんな事を望んではいないのです。
あなたはその理由について話し始めます。
申し分けないと思いつつ、
私は不愉快になってしまいます。
私の話を聞いてください、と頼むと、
あなたはなんとかして私の悩みを
解決しなければならないという気になります。
おかしな事に、それは私の気持ちに反するのです。
祈ることに慰めを見出す人がいるのはそのためでしょうか。
神は無言だからです。
助言したり、調整しようとはしません。
神は聞くだけで、悩みの解消は自分に任せてくれます。
だからあなたもどうか、黙って私の話を聞いてください。
話をしたかったら、私が話し終わるまで、少しだけ待ってください。
そうすれば私は必ずあなたの話に耳を傾けます。
(『ラビング・イーチ・アザー』より)
この詩は、私たちの活動の「立ち位置」「基本スタンス」になるものだと感じております。
臨床僧活動を始めて僅かですが、患者さんや悩める人々との関係は、「近からず・遠からず」の位置での見守りではないかという感を強くしております。
〇 向日市 土井クリニック老人介護施設 「かいで」への訪問
私たちが活動開始して間もなくの時期に協力を要請された病院です。入所されるお年寄り方とご飯やおやつを作って一緒に食べながら、昔の話を聞いたり、話し合ったり、会員の唄達者がギター持参で合唱したり、ハンドアロマによるケアなどほぼ、半日を過ごしております。
世のお年寄りも、心中は、寂しいのです。話し相手や向き合ってくれる人々が必要なのです。介護する職員さんは、多忙すぎて業務で手一杯です。私たちが、ほんのひとときでもお茶をすすりながらご飯を食べながら、そばにいるだけで良いのですから、今後も大切な活動だと思うことです。
なんとか病院内での緩和医療などの現場での活動を模索している最中ですが、この壁がなんとも高いことだと思ってます。
病院はチーム医療ですので、我々を受けいれてくれる人たちばかりではありません。
「檀信徒の獲得にきているのだろう」というような偏見や思い込みで拒否されたりしているのも現状の一端です。しかし多くの医師や看護現場で働く人々、患者さんやそのご家族は我々宗教者の「支え」を望んでおられることは、活動を通じて確信をもって断言できます。日々高齢化社会がどんどんと進み、医療機関や介護施設の不足(施設も人員も)から在宅医療へ移行しつつあります。我々が必要とされる時代といっても過言でないと言えるのではないでしょうか。
活動は始まったばかりです、更に研鑚をつみつつ「世の人から真に求められる僧侶」であることを我々会員は、肝に銘じて励んでおります。
こころざしのある方、関心や興味のある方、ともに参加下さることをお願いします。
法輪寺 佐野泰典