先日、アルフォンス・デーケンさんの『死とどう向き合うか』(NHK出版)を借りに京都市立中央図書館を訪れました。以前に読んだことがあって、勉強会の参考図書になるかどうか確認したかったのです。
宗教書のコーナーで見かけたことがないので、医学関係のコーナーを探しましたが見当たりません。仕方なくコンピュータの検索システムで探すと、哲学のコーナーが示されました。
そこには、様々な哲学の専門書に混じって、『死』についての本がたくさん並んでいました。五木寛之さんが瀬戸内寂聴さんをはじめとする作家や芸術家と対談した『死を語り生を思う』や、養老孟司さんの『死の壁』まで置いてありました。これ以外にも、哲学書としてはちょっと違和感を覚える様な本をたくさん見かけました。
これは私の推測にすぎませんがませんが、図書館のスタッフは、利用者が本を探し易いように、その思考や行動様式をシミュレーションして、配置場所を決めているのではないでしょうか。(勿論、大半の本は迷うことなく棚が決まるのでしょうが・・・)。どの本をどこに置くかで、大変悩んでいるのだと思います。
その結果、『死』に関する本は宗教や医学のコーナーではなく、哲学のコーナーに並べられることになったのでしょう。国によっては、私たちが想像できない様な棚に並んでいる可能性もあります。本の配置場所から、その国の文化が垣間見えるわけです。
現在の日本の宗教は、お浄土や仏国土など仏の世界としての『死後』のことがメインテーマで、『生』の延長線上にある『死』には無関心です。宗教の棚で目についたのは、各宗派の歴史や偉大な祖師に関するものがほとんどで、あとは解説書の類です。(葬儀に関する書物は民俗学のコーナーに並んでいて、葬儀は習俗だと思っている私は納得)
医学に至っては、治療することが全てで、『死』は敗北であるという認識から日本の医学界は未だに抜け出せていないようです。日本の医者にとって、『死』はタブーのままです。医学のコーナーで、『脳死』以外に、『死』の文字を発見することはできませんでした。『死』は『生』の延長線上にあり、医療が万能でないことを認めていれば、現在の様な医療環境になっていなかったでしょう。
哲学のコーナーと宗教のコーナーが背中合わせになっているのも、何か暗示的でした。私の中では宗教と哲学はイコールなのですが…。一冊の本を探す過程で、何やら今の日本人の〈死生観〉を教えられたような気がしました。
ともあれ、『死』について勉強したい人は、哲学のコーナーへ。
臨床僧の会・サーラ 事務局長 児玉