滋賀医大 「医の倫理」講義参加受講
法輪寺 佐野泰典
開催日時 平成23年10月17日(午後1時から午後6時)
参加者 佐野・木原・安達・大神
長倉先生による二月の勉強会の折、「滋賀医大で講義をするので、君たちも参加したらどうか」とのお誘いに、私たち4名が参加した。
この講義は、滋賀医大教授の早島理先生の医学生や看護学部の学生さんへの倫理学の講義の一環として、長倉先生が集中講義という形で出講されている講義である。因みに早島先生は、仏教学者で、瑜伽唯識の碩学であられ、北海道の浄土真宗の住職でもある。
前日16日夕刻から本願寺の聞法会館に集い、学外参加者の私たちや龍谷大学実践真宗学科の学生さんや、ビハーラ活動している僧侶、看護士さんたちが、長倉先生よりレクチャーを受けた、長倉先生の医療や介護現場と宗教者をつなぐための狙い、そしてなにより医学生の人たちに、伝えておきたいこと、我々学外者(宗教者・僧侶)の果たす役割などについて熱く語られたのである。
傾聴・受容・共感・促進、一つ一つ患者に誠実に向き合い、身体的疼痛や精神的疼痛さらにスピリチュアルの疼痛の緩和に医師、看護士とともに我々宗教者が第一の伴走者であるべし、との基本姿勢を学ぶ。
講義当日、初めて滋賀は瀬田の大学を訪問した、広大なキャンパスで講義会場に向かう途中の校舎で「解剖実習室」「遺族待合室」の部屋を通り、解剖体の有無は別として、手を合わせて通り過ぎた。講義会場には、医学部4年生と看護学部4年生併せて150名、学外参加者30名の立ち見席もでるほどの超満員、我々は、学生さんの邪魔にならぬよう後方で拝聴。はじめの講座は、長倉先生による講座である、私たちに勉強会で教授いただいた内容なのであるが、学生諸君に専門用語をかみ砕いて説いて行かれる、医療現場のターミナル医療での臨床の実体験を話されるときには特に、みんな真剣に聞いている。
休憩をはさんで、先生がこれまで関わってこられた、臨床例(患者さんの心の傷み、叫び、家族(遺族)の悲嘆を、「あなたならどうする」「どう向き合うか」グループに分かれて、医学生・看護学部生・宗教者が様々な角度からディスカッション。
臨床現場での一例
患者「もう死んだ方がましです、お願いです 殺して下さい」
家族「お母さんは死んでしまうんでしょう、死んだら焼かれるけれど いやだ」
「死んだらどこにいってしまうの」
患者「妻に子供に申し訳ない、これまで何一つ夫らしい父らしいことをしてやれなかった。情けない、毎日が苦しい」
患者「毎日枕元に化け物がでる、怖い、情けない」
このような症例が、患者さんや家族の背景が紹介された上で、話し合うのであるが、まさに「現成公案」である。
私は、最初学生さんたちの、意見考え方をひたすら聞いた、みんな素直に真摯に受け止めて自分の考え方、思いを語り合っている、内容については、それぞれ真をはずしていないように感じた(おこがましいが)。
色々と話したが、最後に、「みなさん患者さんや家族さんから、この先生に、看護婦さんに出会えて良かったと思われるような将来を願ってます」とお願いした。最後に女学生の方より「お坊さんが病院に出入りされると抵抗を感じる人も多いのでは」との質問に、「現状は、まさにその通りです、でも何か出来ることはないかと模索してます」と応じる。
こののち討議した内容が、それぞれのグループ(16グループ)から発表され、その内容について先生からコメントと、症例についての結末が語られ、その内容に涙ぐんで聞いている人たちが多くみられたことが、将来の医学界における財産であると確信した次第。
講義最終に、学外参加者からもとコメントを求められ、私も指名され、先ほどの、女学生からの質問を再び持ちだし、「今後坊さんや宗教家が当たり前に病院にいて、何でも相談できるような、患者さん・家族さん・お医者さん・看護士さん・宗教家いろんな人が一つになって、少しでも苦しみ悩み傷み悲しみを減らしていけることを願ってます」と挨拶させてもらう。願わくば、彼らの中で、一人でも「坊さんも何かしてくれる」と将来にわたり期待してくれる人がいてくれることを願ってやまない。
終了後、京都へ戻り、早島・長倉先生を囲んでの夕食反省会で早島先生から「臨濟の坊さんがよく来てくれた」としきりに仰せで、恐縮至極、感謝すべきは私たちである。そして更なる研鑽を誓ったのである。また浄土真宗の方々、ビハーラ活動している方々と膝を交えてじっくりと懇親を深め、新たな出会いがあったことにも感謝したい。
来年の講座は、10月15日と決定している。参加のお誘いを受け、今から来年、再び医学生や看護学部の学生さんたちとの出会いが楽しみである。